旅23日目
前日しっかり歩きました 本日は
盛岡までのんびり・・
527k 石鳥谷宿
553k 盛岡宿・旅篭に入ります
本日の旅は 23km
上野発~やまびこ41号・・北上駅~石鳥谷駅
石鳥谷宿
本日の旅は 23km
上野発~やまびこ41号・・北上駅~石鳥谷駅
石鳥谷宿
am9:36 石鳥谷駅前
まちの駅いしどりや 酒蔵交流館
宿場の風景
10:15
万治2年9月27日に75歳で なくなりましたが
危篤の際 「自分が境の鬼となって好地村を守るので
境に埋めてほしい」と遺言しました・
10:17 紫波町
10:50 五郎沼
伝説 夜泣き石
11:04旧道との分岐
11:28
白梅館でにぎわった新田町は町の周辺に水田を持つ
半商半農の商人が多かったことから付いた 町名とゆわれてる
町の中心 日詰の町の中心部です 紫波町役場に向かう
道は、昔志和方向えの街道でした
明治天皇聖蹟
大ケヤキ
13:58
徳丹城跡
15:45
16:05 処刑場跡
長松寺
16:25 北上川
木津屋は 寛永15年の創業から 370年以上の老舗
ルートイン盛岡
盛岡冷麺頂きました・・美味である
旧道に戻る
まちの駅いしどりや 酒蔵交流館
9:44 井筒屋(小野家)跡
この地に明治時代まで井筒屋とゆ酒造店があつた
同家は当町で「七福神」銘柄を造り 売りだしていた
明治39年廃業・・「七福神」は菊の司酒造が引き継いでいる。
宿場の風景
9:59 御地蔵さん
10:15
菊地数馬の墓 数馬は生来頑健勇猛で住居した石鳥谷を愛し
新田の開拓や道路・橋の新設、改良などに力を尽くした
又・犬淵村との境界争いに活躍し境の平安を守った
万治2年9月27日に75歳で なくなりましたが
危篤の際 「自分が境の鬼となって好地村を守るので
境に埋めてほしい」と遺言しました・
10:17 紫波町
10:34 国道を行く
10:42
日本橋から 514km
10:50 五郎沼
伝説 夜泣き石
道標 11:00 日詰駅入り口
野村胡堂・あらえびす記念館入口
覚王子 大日堂由来
覚王寺の草創は室町時代までさかのぼり、寺宝や伝承は
数少ないが残されている。寺の本尊「大日如来像」は 平泉藤原氏
ゆかりの樋爪太郎俊衡一族の居館に鎮座していた 仏像といわれ・・
11:04旧道との分岐
11:12 消防分団
11:18志賀理和気神社
庚申j神社 庚申塔
11:28
白梅館でにぎわった新田町は町の周辺に水田を持つ
半商半農の商人が多かったことから付いた 町名とゆわれてる
11:32 町の風景
11:32~p12:08
ランチです・・とんかつ定食
町の中心 日詰の町の中心部です 紫波町役場に向かう
道は、昔志和方向えの街道でした
郡山駅
12:10 銭形平次会館 シルバー人材センター
明治天皇聖蹟
12:15
日詰の町の発祥地 習町 かっては
賑やかな通りでした。
12:22
12:24
国道4号線 大元師陛下行幸新道 明治天皇が東北巡幸の祭
真直ぐな道に作り変えた 記念碑 旧道はここより
12:33 のどかな旧道
リンゴですよ・・
12:42 高水寺
岩手県指定文化財
木造十一面観音立像 「吾妻鏡」文治五年九月九日の記録によると
この地にあつた 高水寺には 称徳天皇の勅願になる 一丈の
観自在菩薩像が安置されていた・・・
頼朝は陣岡を発たれた すでに7日間 ここに逗留された
ところで 高水時nお鎮守は(伊豆の)走湯権現を勧進したもので・・
大ケヤキ
高水寺 &走湯神社
平泉・鎌倉・南部藩 関連の神社
開拓を思わせる造り
12:50 木宮神社
紫波町消防団
12:58 道標 古舘駅
13:05
造り酒屋
13:23 矢巾町
13:58
徳丹城跡
14:13 道標 矢幅駅
高田&藤沢 稲荷神社
日本橋から 14:33
盛岡に入る度・・
15:19
羽黒山 湯殿山
大国神社
15:45
15:55 道標
16:05 処刑場跡
木炭商店
16:19 石川啄木ゆかりの地
長松寺
16:25 北上川
16:30 旧市街
16:32
盛岡城警備惣門遺跡
木津屋は 寛永15年の創業から 370年以上の老舗
16:48
銀座の柳二世&銀座の煉瓦
啄木&賢治の青春館
16:58
16:57
菊の司 造り酒屋
いや~コップ酒やってます・・・
お気軽にぞうぞ・・
まいったな~
17:32 盛岡冷麺の美味し所 定休日
17:32
京都三条の大橋 擬宝珠と同じ年代の作り
18:18
奥州街道北の玄関口 門の脇に番所
旧市街
18:22次回はココから
ルートイン盛岡
盛岡冷麺頂きました・・美味である
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